紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

ライカでいず

祖父が昔使っていたライカを僕にくれた。一週間前のことだ。祖父がずっと昔写真を撮るひとだったと聞いたのはそれからさらに2年以上前のことで、僕は祖父の家の納戸から発掘したスライドを透かしながら話を聞いた。祖父は、僕の母がまだ幼かった頃に雪祭りに連れて行ったときの写真や、祖母との新婚旅行のときの写真を壁に映させながら、ひとつひとつについて思い出を語っていた。
今、僕の手元には、50年以上昔に動いていた祖父のカメラ、LeicaⅢfがある。初孫だし、従弟たちの中でもカメラに興味があるのは僕だけだから、いずれしげおに譲ろうと思っていたんだよ、と祖父は言った。望遠レンズもマクロレンズも外付けのストロボもなにもかも一通り揃っていて、まめな祖父の性格を映すように手入れされていた。そして、僕が生まれた歳に使用期限が切れたカラーフィルムが、ケースの底に転がっていた。
不思議なことに、いろんなものが僕の元にやってくる。僕はこれでなにを撮ればいいのだろう。フィルムが写しこめるものはきっとあると信じているからこそ、祖父が笑ってくれるような写真を、このカメラで撮ってみたい。