紺色のひと

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いつものように

「弟が遊びに来ているんだけど、武道のこととか、漫画のこととかで君と話も合うと思うし、飲みに来ないか」。近所に住む女子大生から誘いのメールが来た。大変胸が躍るお誘いだったけれど、今日は丁重にお断りした。他でもない、僕のことが理由だ。別段予定があったわけではない。今日は少し、胃が痛かった。
心が弱っているとき、僕はご飯と野菜を食べて、少し体を動かして、静かに息をして、をくり返す。自分以外の誰かの辛さを想像して胸が痛むなんて久しぶりだった、と書いて、どれだけ僕は自分のことばかり考えてきたのだろうと驚いた。いや、これを読んだ誰に利己主義と言われようと別に構わないけれど、僕は常に、自分のことだけを考えてきたのではなくて、自分とその周りの少しのひとのことを考えてきたはずだった。今は、その少しのひとの数が少なくなって、ひとりの比重が重くなっている、ということなのだろうと思った。
以前、宮沢賢治っぽいと言われたことを思い出した。僕のどこを見て言ったのか、そもそも本気かどうかは別として、僕には自分で決してそう思えない理由があって、それは僕が最大多数の最大幸福について必ずしも願っていないからだった。僕には大それたことと映ってしまうのだった。
思考に引きずられて話が逸れているけれど、自分以外のひとのことが気になって体調に影響が出るなんて珍しいので、これから僕はいつものように野菜ジュースを一気飲みして、それからご飯を作ろうと思う。体を、心を平静に保たなくては。そうでないと、きっと僕は自分以外と関係性すら築けない気がする。