紺色のひと

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柔らかな闇

ここ数日の仕事が忙しかったり、内容が建設的でなくていらいらしたりもする、ということを愚痴るつもりはまったくない。ただその中で気づいたことがあって、僕は生産的とか建設的とか、そういう極端に前向きのベクトルを持つ言葉や、そういう行動が好きなのだな、ということだった。
今さらの言葉になってしまうかもしれないけれど自分を省みる。「ずっと一緒にいられたらいいね」という言葉で許されるのは学生までだと僕は感じていて、だからこそ思ったときにその言葉を使うのをためらわなかったけれど、卒業して2年、たまに投げかける未来のことについて曖昧に言葉を濁す恋人を、僕は許すことができなかった。その曖昧さが僕の触れられない家庭や仕事のことだとわかっていたけれど、2年という時間は短気な僕には長過ぎたのかもしれない。
この先誰とどういう未来を描くにしても、僕は焦ってはいけないのだ。また素敵なひとと出会えたらと思う。気持ちのいい時間を過ごせたらと強く思う。そのひとと生産的な、建設的な未来の話ができればそれほど嬉しいことはない。だからアオイちゃん、おれ、先へ往きます。5年半の間、あなたは確かなともし火でした。少しずつ明るくなってゆく柔らかな闇の中で、あなたは確かに僕の未来を射していました。本当にありがとう。おれ、先へ往きます。