紺色のひと

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生活

昼前に起き、昨日つくった野菜スープの残りを温めなおして食べた。洗い物をし、洗濯機を回して干してから、駅まで下着や本や細々としたものを探しに買い物に出た。帰りにドーナツを買った。晩は鶏皮と野菜でスープを作り、キャベツをつけ合わせにしてご飯を炊き食べた。食後にドーナツと、インスタントのコーヒーに牛乳と砂糖を入れて飲んだ。
先日、近所の古本屋に「66ヶ月ぶりに開店しました」と張り紙がしてあったので冷やかすと、店主が物置から引っ張り出してきたと思しき旧型のふとん乾燥機が千円で売られていたので買った。店主が言葉を切りながら、「昔はねぇ、結婚式とかねぇ、そういうのでもらえたんですよ、新品ですからね、動きますかね、今やってみますからね」と箱を開けてコンセントをつなぐと、ぶおううと音がしてモーターが回りだした。そのふとん乾燥機を早速使ってみると、模様替えで寒い風に晒されなくなったことと併せ、とてもよく眠れたのだった。それが今朝のことだ。
その今朝回していたふとん乾燥機を再び回しながら、現像から返ってきてそのままになっていた写真の整理を始めた。焼き増しやらなにやらでネガがごっちゃになっていたので、買ってきた新しいアルバムにほいほいと放り込んだ。別れた恋人と函館に行ったときの写真がずいぶんと多くて、これを見たらまた彼女は泣くのだろうなと思いながら淡々と整理を続けた。途中彼女から久しぶりに電話がかかってきて、バスを待っている間に少し最近の出来事を話した。
こうして振り返ると、ものすごいスピードで過去が思い出になっているのがわかるなと考えた。写真みたいに形に残ると、それを思い出すきっかけになるからなおさらなのと、そもそも記憶力の悪い僕は覚えていられないからとにかく遺しておこうとカメラを振り回し始めたんだった、と思い出したので、このスピードを感じても別に残酷だとは感じなかった。ただ、毎日の中の一日のこの時間にこういう作業やこういう思考が挟まって、続けてゆくのが生活というものなのだと強く思った。