紺色のひと

思考整理とか表現とか環境について、自分のために考える。サイドバー「このブログについて」をご参照ください

卒業式のチェリー

f:id:Asay:20200301222649j:plain
僕は今バンド活どうをしている。
「バンド活どう」と表記するのは気恥ずかしさだけが理由ではない。男ふたりの弾き語りを主とする音楽活動に、ユニットと言ってしまうともうちょっとおしゃれでシャープな印象になってしまうようだし、かといってバンドと呼ぶにはアコースティック寄りだし人数も少ないし、かといってデュオという言葉が使われるフォークの類を主としているわけではない。アラサーを通り過ぎて40代に近づこうとしている男たちが恥ずかしげもなく自称する趣味としては、どれもちょっとハードルが高い気がしているのだ。
ともあれ、そのバンド活どう。一、二週に一度くらい、相棒と示し合わせて練習している。スタジオを借りることもせず、カラオケに楽器を持ち込んで。僕も彼もギターがうまくはなく、もっぱら好きな歌を二人でハモって曲を増やしていったり、村下孝蔵の歌詞についてあれこれと言葉を費やしたり、そうやって時間を使っているのだけれど、今日はちょっと様子が違った。

3月1日。僕と彼が練習の合間にドリンクバーに向かうと、胸に白い花をつけた女子高生たちとかち合った。彼女らのめでたい日の視界に僕が映り込んでいいものかとなんだか気圧されてしまい、彼女らがかわるがわる飲み物を注ぎ終わるまで空のコップを手の中でもてあそんでいた。ちょうど僕が注いでいるとき、ドリンクコーナーの横の玄関からどやどやと男子高校生たちが入ってきた。いらっしゃいませ、何名様ですか? 23名なんですけど。
「聞いたかい志村さん! 23名の男子高校生! 卒業式帰りだよ!」
僕は思わず声に出して相棒氏に話しかけてしまう。
「そうやな、団体さんやなあ」
部屋に戻りながら僕たちは話を続ける。
「一クラス全員にはちょっと足りない、かといってクラスの男子半分とするとちょっと多いくらいの人数だよね。こういう日、参加しない子はどうしてるんだろうね?」
「決まっとるやろ、さっさと帰って彼氏彼女でセックスしとるんや」
志村さんはにべもない。僕もたいがいだが、彼は僕よりなお、明るく正しく楽しく高校生活を過ごしている彼らに対する恨みの感情が深いのだ。いや、僕のその感情が浅いかというと自信がないのだけれど、それはともかく、僕は言葉を返す。
「彼氏彼女がいるような子らは参加するんじゃないかなあ。卒業式だし、きっとクラス行事を優先するよ、そういう社会性を持ってる層は」
「そうかね」
そうだよ、と答えたところで、僕は昨日見かけたツイートの文言を思い出した。今自分が見かけた光景とリンクする気がしたのだ。

世の中では、新型コロナウイルスCOVID-19の感染拡大影響を鑑み、全国の公立小中高校に休校要請が発されたところだった。そこでこれだ。
いつもの僕なら、親のいない家でセックスする中高生カップルに対し、うらやましさや自分が得られるはずもなかった体験に苦しい感情を向けていただろう。しかし今日はなぜか違ったのだ。僕は志村さんにこのツイートを見せ、そのうえで説明した。
「あのね、うらやましくないわけじゃないんだよ。おれだって家に親のいないときに彼女とセックスしたかったよ。でも、今回のはそういうねたましさとはちょっと違う気がする。なんていうかな、自分じゃどうにもならないような出来事があって、それに巻き込まれてしまったときに、なにかこう、事態が好転するように祈りたいんだ。もどかしい感じで進んでたカップルの仲が進展するとか、そういう。もちろんうまくいかない事例もたくさん起きるだろうけど、そういうのの中で、せめて不幸なことが少なく、後で幸せな記憶とともに思い出せる、どきどきするような事件であってほしいっていうか、そういうことを思ってるんだよ」
「……そんならわかるわ、事件に巻き込まれたらどきどきするやんな」
「そうなんだよ、彼らはまさに登場人物なんだよね」

志村さんはおもむろにコード譜を印刷したファイルをめくり、スピッツの「チェリー」のイントロを弾き出した。スピッツとサニーデイ・サービスを主武器とする僕たちの当然の持ち曲ではあるけれど、あまりに知名度が高すぎて、逆にほとんど歌うことのない歌だった。志村さんの歌い出しに合わせ、僕も自分のギターと声を重ねた。

ズルしても真面目にも生きてゆける気がしたよ いつかまたこの場所で君とめぐり会いたい

「珍しいじゃん」
僕の言葉に、志村さんは照れたように頬をかいた。
「今のは当然、彼らに対する卒業おめでとうソングと受け取っていいんだよね?」
「そりゃなあ。おめでとうやん。23人の中にセックスしとるやつが入ってるかどうかは知らんけど」
「……チェリーだけに」
「そう、チェリーだけに」

僕たちはもう一曲、春をテーマにした歌を一緒に歌って、カラオケ店を後にした。制服姿の彼らはもう各々の部屋に入ったのだろう、すれ違うことはなかった。実際、彼らの性生活について僕が何かを言うことはないけれど、節目の日、これからの生活が素晴らしいものになるように、勝手に祈らせてもらうくらいはいいだろうと思ったのだった。

栗の花の匂いがする

f:id:Asay:20200121231003j:plain
僕の家の庭には昔、栗の木が立っていた。毎年6月になるとあの独特の匂いをまき散らし、夏になると毛虫みたいな花を落とし、10月になるとさして大きくもない実をたくさん落とす、そんなどこにでもありそうな栗の木だった。

僕は幼稚園の頃から毎年のようにその実を落としてきたので、どんどん栗の実を採るのが上手になっていった。栗の実を落とすには、棒なんかを使うよりもサッカーボールが一番いいのだ。それも、少し空気の抜けたやつが。両手で持ったボールを股の下に振り下げて勢いをつけ、真上に放り上げる。この方法だと非力だった僕にも高いところの実が取れた。ボールは幹か実に当たり、その衝撃で実が落ちてくる。熟しているのだったら中身だけが落ちてくるし、まだ少し青いものならいがごと落ちてくる。そういうものは片足で踏みつけ、もう片足で反対側を踏んで剥いてから中の硬い実だけを取り出す。火ばさみや軍手なんか使ったことがなかった。ただ毎年、栗の実だけを拾い続けてきた。一度だけ頭にいがが落ちたことがあったけれど、学校指定の帽子をかぶっていたので大したことはなかった。小学生だった僕はその日、初めて制服に感謝した。

栗の木にはもうひとつの、橋としての役割があった。隣の家との仕切りである石塀を越えて隣の広い広い庭に入るには、栗の木をよじ登って塀の上に上がるしか方法がなかったからだ。今でもリアルに思い出せる。左足で踏み切り、右足を幹の途中にかけてそのままジャンプ。右手で切り落とされた太い枝の根元をつかんで体を一瞬だけぶら下げ、つかんだ右手を支点にしたまま体を一度だけ振り子のように振る。左手を塀にかけて、後は両手で支えた体を木の上まで持ち上げるだけ。2メートル以上はあっただろうその塀を、僕はほとんど力を使わないで越えることができた。体が大きくなかった小学生の頃、僕は一日に何度もこの過程を繰り返した。

中学生になった僕や友人たちがどこからか仕入れてきた「アレは栗の花の匂いがする」という事実も、耳年増な僕はとうに知っていた。都会で生まれ育った僕らの中には栗の花の匂いがどんなものかを知らない奴もいた。そいつはイカの匂いを想像するしかない、なんて言っていたけれど、僕はそんなものなのか、と思うことしかできなかった。なぜなら、初めて手の中に出した精液に僕が抱いた第一印象は「栗の花の匂いがする」というものだったから。僕にとって、その事実はあまりに自然すぎた。

僕が高校に上がろうという年に家は建て替えられ、それに合わせて栗の木は倒された。泣き虫の僕にとってその事実は間違いなく大きな喪失に当たるものだったけれど、僕は泣かなかった。ただ、家を建てる前にさら地で行われた地鎮祭の様子を端から眺めていた。
6月になると、どこからともなくあの匂いが漂ってくるような気がした。ただ、周りの友人たちは下衆な下ネタを使わなかったから、僕もそのことについて口を開くことはしなかった。秋になって恒例行事を失った僕は、通う高校の敷地内にある栗の木で栗拾いをした。あまり目立たない場所に立っていたとは言え、クラスメイトや先輩が栗の木に何の関心もないことが不思議で、僕はいつもひとりで木の下に立った。空気の抜けたサッカーボールだけを持って。家に立っていた栗の木よりも随分大きな木なのに、いがから出た実があまり大きくないことに少しがっかりしながら。ただ、思いのほかボールが高く上がることに、自分の成長を見た気がした。こんなところで、とつぶやいて、僕はシャツの裾をエプロン代わりにして地面の茶色を集め始めた。拾った実を購買に持っていって職員のおばさんに渡すと、おばさんはとても喜んで僕にジュースを一本くれた。


栗の木が切られた夏からもうすぐ7年が経つ。僕はそれと時を同じくして22歳になる。21歳の僕はというと、トイレットペーパーの中に出した精液の匂いを何気なく嗅いで、いろいろなことを思い出している。


(20050515執筆、旧テキストサイトより転載)