紺色のひと

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忘却と回顧の夜

残業が続いて遅くなった夜。職場を出て、空気を大きく吸い込んだ。
車のエンジンをかけると、往路で聞いていたスピッツが流れ始めた。「ウサギのバイク」だ。乗り込み、窓を開けて走り出すと、初夏の冷たく、どこか花粉くさいような風が車内に吹き込んできた。
唐突に、今がいつなのかわからなくなった。学生の頃、まったく同じ瞬間があったような――あの時は自転車にヘッドホンで聞いていたのだったか、それとも友人から譲り受けた古い車で聞いていたのだったか――、有り体に言えば、あの頃に戻ったような心持ちになって、ひどく動揺した。
いろいろな決断を経て、僕は今、学生時代を過ごした町で再び暮らしている。家族構成や自分の立場、変わったものはとても多くて、今こそが自分の生きている場なのだと思う。それでも、同じ町の同じような夜に生きていることを、時間を超えて認識したということを、ふいに実感したのだ。10年以上前の僕も、「ウサギのバイク」だの「魔女旅に出る」だのを口ずさみながら自転車をこぎ、涙ぐんでいたのだ。

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音楽で時間を超える、同じような経験をしたことは何度もあった。一番強い記憶は、夏の夕方、西日が強く差し込む六畳間で、部屋の片づけをしていた僕の姿。あのときのBGMはサニーデイ・サービスの「青春狂走曲」と「若者たち」だった。慣れないカルアミルクをすすりながら顔を赤くしていた自分を、どこか俯瞰するような視点で思い出すことができる。

この先もこの町で暮らしてゆくと、あんなふうに過ごしていた自分と向き合うタイミングが、これからもきっと来るのだと思う。プールサイドのような重い大気や、青い空を映した町中の水路や、広がる夜の田んぼに響くアマガエルなんかをきっかけにして、僕は情けない顔をしていたあのときの僕と向き合う。何度でもだ。我に返って手を頬に当てると、吹き込む夜風ですっかり冷たくなっていた。


【LIVE】スピッツ - ウサギのバイク


(PV)サニーデイ・サービス - 青春狂走曲

転換点

自分のこれまでの生活に――あまり好きではない言葉なので使いたくないのだけれど有体に言えば“人生”に――おいて、大きな転換点というのは確実に存在する。僕の場合、数年前に生まれ故郷を離れる決断をしたのがそれで、その転換によって僕の生活のかなりの部分はリセットされた。リセットしても変わったのは仕事や暮らす土地や周囲の人間といった外的環境で、僕と家族という内的な部分、ごく近い部分はそのままだ。もちろん、外的環境が自身にもたらす影響はものすごく大きいし、それを今更否定するつもりもないのだけれど、例えば家族と別れ身ひとつで新しい暮らしを始めるとか、そういうたぐいのリセットではなかった。
例によって、年が過ぎるのに伴って僕の生活もまた変わってゆく。今年もそうだし、今後も子供たちの成長や職場が変わったりすることで分かりやすい変化は生まれるはずだし、そういうのをひとつひとつピックアップして、分かりにくい部分の変化にも気づけるようにしていきたいと思う。このところ、僕は僕自身の変化についてとても鈍感になっているように感じている。妻から指摘されてようやく自覚することができて、それで済むことならそれでもいいのだけれど、「僕はこういう感じだから」と自分で思っているけれど決してそうではない類のことが、どこかで致命的な失敗に繋がりかねないという危機感もあるので、やはり敏感にいたいと思う。
それは妻についてもそうだ。知りあいがいない土地に一緒に来てくれた妻が、気丈にも「あなたとなら楽しいよ」と言ってくれたことにかまけて、ぽつりと漏らす辛さを掬い上げることができていなかった。大抵の虫はまあそこまで嫌いではないけど群れになってくるのは勘弁だとか、暑さに弱いとは聞いていたけれど古く温まらない家での生活に疲弊しつつあるとか、そういう類のことを。気づいた以上は解決に向かって動き出せるのでまだいいのだけれど、パートナーが辛いと思っていたことを言われるまでちゃんと認識できていなかったというのはとても……なんというか、良くないのだ。
だからこそ、転換点を迎えるにあたって、今後どうやって暮らしてゆくかとか、どうしたらもっと楽しく快適に生きてゆけるかとか、そういう生活の底上げになるような努力を怠ってはいけないと思うし、それ以上に妻と子供がどうしたいのかにもっと敏感にならなければいけないと強く思う。


例によって情緒的な文章にしたので、補足。
・4月からおしごと等の都合でまた生活スタイルが変化する。
・将来的に、家を持つ(中古戸建を買ってリフォームするよりは新築する寄り)ことを見据えて下調べを始めた。