紺色のひと

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SUUMOタウンに、山形県への移住記事を寄稿しました

株式会社リクルート住まいカンパニーが運営するwebメディア「SUUMOタウン」に、山形県庄内地方への移住に関する記事を寄稿しました。タイトルは「あたたかな川をさかのぼるように、山形へ」です。

SUUMOタウンの記事編集にははてなが関わっている*1とのことで、そちらからお声がけいただいた次第です。編集部の方には大変丁寧に対応していただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
はてなと一緒に書き手を巻き込んで成長 オウンドメディア「SUUMOタウン」の狙いとは - はてなビジネスブログ

この「SUUMOタウン」ピックアップ記事(一覧)は個人的にとても好きなものが多く、並んで掲載されることが嬉しいです。2017年2月現在、関東近辺がほとんど(一部神戸や滋賀、愛媛など関西圏)で東北以北の記事は僕のみですが、これから増えてくるのではと期待しています。仙台とか札幌とか、たぶん来る気がする。(※2/28追記:同じく東北日本海側、秋田県から鹿角市の記事が公開されました!:さあ、心地よいため息ばかり出る町へ「秋田県鹿角市」 - SUUMOタウン
特に好きなのは、群馬県前橋市にスポットを当てた朽木誠一郎 id:seiichirokuchiki さんの「田舎が嫌いだったんじゃなくて、自分が嫌いだったんじゃないか」です。僕と同じく大学時代を過ごした地方都市についての記述ですが、改めて読み返してみてもいいなあこれ。


◆早速ですが、訂正を

山形の行政区・エリア区分について触れた以下の部分ですが、

山形は藩政時代の経緯から、大きく4つのエリアに分かれている。県庁所在地の山形市がある村山、最上川の上流部で山々に囲まれた最上、米沢牛で有名な置賜(おきたま)、日本海側で米どころの庄内だ。

「最上は最上川の上流部ではなく中流部」とのご指摘をいただきました。大変失礼しました。最上エリアは最上川の中流部にあたり、上流部は米沢など置賜地方です。元記事も修正していただきました。


◆寄稿にあたって

山形県への移住に際して、これまでweb上ではあまり動機を言語化しないできました。というのも、移住すなわち「新しい土地で暮らすこと」の動機はあくまで移住者当人にとってのものであり、それを他者に伝えたり、あるいは理解してもらうことにあまり必要性を感じなかったからです。僕自身と、家族がわかってくれればいいのだと。
また「移住」という言葉への抵抗もちょっとあります。便宜的に使ってはいますが、これは単なる引っ越しであって、やれ起業だIターンだ暮らし方だ第二の人生だ、という様々なニュアンスが付随する「移住」という言葉を振り回すことをむずがゆく感じています。これは今もそうです。
(そのあたりのもやもやっとした感情は、以前このあたりの記事に書いてみています。)

ただ、この寄稿のお話をいただいて、誰かに伝えるためというより、もう一度自分の動機と向き合うために、改めて言語化するいい機会だと思ったのです。

そんなわけで、土地やお店の紹介や移住に関するメリットデメリットといった具体的な要素を並べるのではなく、僕が自分の記憶や体験と通じて「やっぱりここが好きだよ」という思い出話をする内容になりました。それでいいはずなんです……僕は行政や関連団体から移住促進のための記事を依頼されているわけではないし、万人に向けて移住の素晴らしさを語りたいわけではないのだから!


僕は、たとえ僕と同じような境遇にあるひとがいても、移住を勧めません。僕にできるのは、僕が暮らす土地は”僕にとって”いいところだよ、と誰かに伝えるだけです。その結果、面白そうだなちょっと旅行いってみようかなとか、そういうふうに思ってくださる方がいるのなら、それはとても嬉しいことです。

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先日水族館で見たミズダコの赤ちゃん。細かいのはエサの小さいエビ類。


◆あわせて読みたい

ちょうどタイミングよく、ブログ「ウォーキングと美味しいもの」のTakiさんが山形県庄内地方の中心都市、酒田市での食べ歩きに関する記事を2件あげておられたので併せて紹介します。
冬の庄内で食べられるおいしいもの、お酒をこれでもかと詰め込んだ記事で、ぶらっと行ってよくこれだけのお店やメニューに出会えるな……! という食べ物アンテナ感度の高さに感嘆します。


◆書き切れなかったことなど

◇「学問とは」云々
文中にある「学問は、統合を前提として細分化されなければならない」という言葉は、入学間もないころに地理学の教授が講義で伝えてくれた言葉です。大学でいろんなことを学びましたが、この言葉は特に強く残っています。
そのときの話を簡単にまとめた文章を再録しました。こちらです。


◇食べ物のこと
庄内地方に限らず、山形はオリジナリティあふれる食べ物がたくさん見つかり、とても興味深く感じています。麺類のバリエーションについては文中でも触れましたが、冷たいラーメン、冷たい肉そば、麦きりの他にも「ひっぱりうどん」とか。「山形のだし」も都市圏で人気を集めつつあると聞きます。
最近twitterで大人気のグルメマンガ作者である杏那さんもイラストで紹介していたりします。
山形うんめえもの - BUUUUUUN!

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◆最後に、これを読んで何かを察した方へ

僕は、このブログをはじめとしたweb上での活動を、web以外(いわゆる”リアルの生活”)と紐つけたくないと強く思っています。別に、知っているひとに読まれて恥ずかしい内容を書いているつもりもないし、何かを批判したりする際も根拠に基づいた内容批判に留め、個人攻撃にならないよう気を付けているつもりではありますが、それでもここで書くものはできる限りリアルと切り離しておきたいのです。
このブログについて - 紺色のひとでも述べてありますが、改めてここに明示しておきます。

  • 当ブログを含め、web上の活動を職場・友人等に積極的に開示したくないと考えております。
  • 僕と面識のある方、特に職業上でお付き合いのある方がご覧になった際は、気づかぬフリをして頂けると大変ありがたく思います。

書いた内容が土地のことなので、いわゆる身分バレの危険性も十分にあるのですが、そこは閲覧してくださっている皆様の良識を信じるしかないかなと考えております。
よろしくお願いいたします。

*1:オウンドメディアとしてのCMS:コンテンツマネジメントシステムの提供など

ブルカニロ(最終稿)

「学問ってものはね、」
そう、先生は話し始めた。講義室は静かで、誰もが彼の話に耳を傾けている。曇りガラスの窓がわずかに開いて、温かな風が時折吹き込んできていた。
「今の学問は、ものすごくたくさんの分野があるでしょう。私がやっている地理学にもいろいろあるし、社会学だったり物理学だったり人文科学だったり、それぞれの学問の分野すべてにいろいろな役割がある」

胸の前に合わせた手のひらを組み替えて先生は続けた。
「でも、細かくなるだけでは駄目なんです。学問には、その全てに通ずる大きなひとつの流れがあって、細分化された分野ひとつひとつに与えられた役割がある。それを考えてゆかなければならないんです」
「そして、最終的には――今みなさんが学んでいる環境問題ということについても、全てを見通せるような学問体系が確立されなければ、ならない。環境に負担をかけないエンジンを造っても、それをいかに普及させるかを考えるひとがいなければ意味がないのと同じです」
「つまり、学問というものは、統合を前提として細分化されなければならない、ということです。だからみなさんの専門が決まっても、それが学問全体でどのような位置を占めているか、それをしっかり考えてみてください」

話し終わると先生はいつものように右手についたチョークの粉をぱんぱんと払って、持ってきた本をまとめる。授業が終わり、みんながぱらぱらと講義室から出てゆく。僕は今の話を思い出そうとしてノートを見た。いつ書いたのか、上の空白に小さく『学問は統合を前提として細分化されねばならない』と文字が並んでいた。紛れもなく僕の字だった。

「ほら、行かねぇの?」
友人の声にあぁ、と曖昧に答え、僕も椅子から腰を上げて教室を出た。
「だからおまへの実験はこのきれぎれの考のはじめから終りすべてにわたるやうでなかればいけない。それがむづかしいことなのだ」
『銀河鉄道の夜』でブルカニロ博士の言った言葉が僕の頭の中を駆け巡っていた。先生のくるりとした目が博士のイメージと重なった。

教養棟から出た僕らを包んだのは午後の強い光だった。夏が近い。そう遠くない未来に僕は思いを馳せ、太陽に手をかざした。

            • -
補足

この文章は2006年1月に書いたものの再録です。
タイトル「ブルカニロ」は、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」第三稿に登場する博士の名前です。広く知られている最終稿には「セロのような声」としてのみ残っており、博士の名前は登場しません。

「だからおまへの実験はこのきれぎれの考のはじめから終りすべてにわたるやうでなかればいけない。それがむづかしいことなのだ」

学生の時分の僕はまだ宮沢賢治にかぶれており、先輩方を送る会の席で「あすこの田はねぇ」を朗読するような若者でした。